今月も鳥の話題から…。
フルマカモメに久しぶりに遭遇しました。
場所は館山市洲崎沖、ベタ凪の海でプカリプカリとしてました。
弱っている様子は無く、潮に流れて南へ消えてゆきました。
カモメという名がついていますがミズナギドリ目、ミズナギドリ科の鳥で、この科特有の写真のようなクチバシの上の管状の鼻がフルマカモメは特に大きく目立ちます。
ちなみにフルマは日本語っぽいですが「古間」などではなく、Wikipediaによると「属名Fulmarusや和名のフルマ、英名のfulmarはノルウェー語で『悪臭のするカモメ』の意があるfulmaに由来し、ミズナギドリ科の構成種は本種に限らず危険を感じると口から液体を吐き出す防御行動を取ることに由来する。」のだそうです。
過去数回遭遇していますが今までのところその悪臭を嗅ぐ事は無く済んでいます。(嗅ぎたくないような、嗅いでみたいような…)
しかし、その防御行動、実際に役に立つのでしょうか??その相手はトウゾクカモメとかかな?
分布については「北太平洋・北大西洋の島々および海岸の岩壁で繁殖し、冬は南下して越冬。日本では北海道から銚子沖にかけて見られる。」と図鑑にあります。
この子はちょっと下りすぎですね。
南の蝶が北へ分布を広げると地球温暖化がすぐに話題になりますが、北の鳥が南下しても地球寒冷化や温暖化との矛盾についての話題に膨らむ事はなかなか無いですね…。
だからつまり思うに生物はいつも本能的に分布を広げる努力をしていて、時には思いもよらず南下(北上)しすぎたりして、辿り着いた地で運良く適応できればその度に結果的に分布が拡大していくのでしょう。
温暖化が進む時代にあっても北の鳥は北の鳥で分布南下のチャンスを掴むための使者が密かに派遣されているという事なのかもなぁ〜と考えたりしました。
この子自身にしてみればただ迷い込んで途方に暮れているだけかもしれませんが、時代がこの子に味方していないだけで時代が寒冷化の時代であったならこの子は先駆者となったわけで…。
何はともあれまた夏までにはちゃんと北の海に帰れると良いですね。
海岸ではツワブキとイソギクの開花の重なる季節となり海岸線が明るく見えます。
海岸では他に花の少ない季節ですので、これらの花には冬備えるために多くのチョウが集ります。
今月はまだまだ秋!という感じで適度な気持ちよい日差しの中を漕げる日が多かったです。
ただし風が強い日も多く、岸から海を眺める日も多くなりました。
そんな日でも写真のように海上を主な棲家にする鳥たちは海を離れません。
天の川のように連なる白い点はウミネコの群れ、写真に写っていないものも含めれば全体で1,000羽ほど。
岬の影で10mを越す強風を避けていました。
もう一枚は同じ日に果敢に飛ぶヒメウ。
海面の様子を見ればシーカヤッカーならばヤバイ日だと分かると思います。
ウの類は岩から飛び立つ時などはバタバタ〜と水面に落ちそうになりながら、肢で水面を蹴って何とか飛び立つような冴えないイメージですが、この時は格好良かったです。
それにしてもこの2羽はどういう間柄なのでしょうか?
厳しい海を渡ってゆく時、仲間がいる事で実際的な利益があるのでしょうか、それとも単に気持ち的な安心感を得ているのでしょうか?
僕らシーカヤッカーが連れ立って漕ぐ時、同じレベルのもの同士がペアで漕いだとしてもリスクを下げる事には繋がりません。
それでも単に複数人で海を行く時の安心感はたいてい皆感じていると思います。(その根拠の少ない安心感の怖さについては要考慮ですが…)
それと同じような気持ちをこのウも感じているのでしょうか?
2人なら勇気百倍という様な。
それともただただ仲良しの2羽なのでしょうか?
いや、後ろにいる個体は風除けとして前の個体を利用しているだけだとか…。
以前調べていたミナミハンドウイルカでも御蔵島でよく一緒に泳いでいた2頭(ビンタとパンチ)が館山に来てからも一緒でした。
私にはこんな動物の個体単位の固い同盟が「風の抵抗」や「餌を捕りやすくなる」等のような実際的な利益だけの関係では無さそうな気がしてなりません。
動物の同盟に人のような「気が合う、合わない」みたいな感情的な部分がどのくらいあるのでしょうか?
参考文献
「日本の鳥550 水辺の鳥」 桐原政志/解説 山形則男・吉野俊幸/写真 文一総合出版
「フリー百科事典 ウィキペディア日本語版『フルマカモメ』」2010年10月2日 (土) 07:39 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
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