カヤック日記


2011年5月の出来事


洲崎沖からの夕日2011年2月13日撮影

あの地震からもう少しで3ヶ月が経ちますが余震はいまだに続き、福島第一原発については悪い情報が増える一方です。
海にいても落ち着かず、海に行かない日々が続いています。
これほど海から距離を置いたのは館山に越して以来初めてです。

あの原発が建てられたのは私が生まれた頃で、私は東京で育ちましたので、ほぼ生まれた時から原発で作られた電気を使って育てられた最初の世代という事になります。
時代はあらゆる方法で電気が使い放題の世界を目指し、その豊富な電力を使って工業は成長し、農業では季節にかかわらずに作物を育てる事ができるようになり日本は「豊か」になりました。
普段の生活も電気を使う事で季節や昼夜の違いを感じずに済み、交通網の整備や自動車の普及で日本は狭くなりました。

そういう世代の人間にとってみれば物心ついた頃には世界は電気で溢れているのが当たり前で、登山や海辺のキャンプで経験する本当の闇はとても新鮮なものでした。
私が電灯が少ないと星がたくさん見えるという事を知ったのは子供の頃に海水浴に来て泊まった館山だったように思います。
乗り物を使えば足も体力を使わずにどこにでも行けるという事は当たり前の事で、1日歩いたらどれくらいの距離を移動できるのかなんて考える必要はありませんでした。
車に乗れば1日で1000kmだって移動できますし、飛行機に乗れば太平洋の向こうにも行けるのがあたりまえです。
しかし一方では山登りや自転車での遠出で得られる満足感をやけに強く感じたのは不思議です。

闇をなくし世界の距離を縮める事は昔から人にとって究極の望みでしたが、前の世代の人達が頑張った結果、僕らの世代の一部では足を使ったり電機が無いという事に新鮮さを感じる者が現れるという皮肉な事が起きたようです。
日本のシーカヤッカーにはこの世代以降の人が圧倒的に多いように感じます。
人力で一日中海を漕いで夜はキャンプ…。
生活の中で仕事として一日中歩き続けたり重労働をし、夜は薄暗い明かりの中で暮らしていた時代の人からすれば、なにもわざわざという行為です。
過剰な便利さを当たり前に暮らしてきた世代の無いもの強請りが作り出した文化(?)と言えるのかもしれません。

アウトドアに夢中になり始めた頃、多くの人は新たな世界に巡り会った好奇心と共にしびれて麻痺していた感覚が戻る時のような苦痛も感じます。
しかし、それが徐々に馴染んだ頃には今まで感じた事が無い感覚を味わっていると思います。
頼り切って生活しているこの文明が無くなったら自分はどうなるのだろう、という深層で感じでいた不安からの解放や体ひとつでどれくらいの事ができるのかが掴めてくる楽しさや安心感でしょうか?
また怖い、危ないと言って、ただただ避けるべき相手として見ていた自然の怖さとの付き合い方を知る事で得られる安心感も感じられるかもしれません。
このようないろいろなことが私たちを無意識にアウトドアでの活動に惹きつけてきたのではないでしょうか。

しかし今現在の日本の状況はまた新たな局面に入っています。
過去に未経験のレベルの地震と津波は近代化によっても被災を免れないことを示しました。
また1940年代に発明されて以来、最先端の発明とされてきた原子力はあまりに制御の効かない危険なものという事が今回も多くの犠牲を払いながら証明されました。
更に今後どれくらいの被害が及ぶのか分かりませんが、この世界を背景に生まれてくる子供たちはどういう大人になるのでしょうか?
節電のために暗くなった町を普通と感じ、それを節電とも思わないで当たり前に暮らすようになり、上昇し続ける交通費により出来るだけ乗り物は使わずに自転車や徒歩での移動が中心となるような時代がまたやって来るのかもしれません。
それを強いられる場合、楽しんでやれるのかというとなかなか難しいように思います。
それには幼い頃からアウトドアを楽しく経験することが役立つかもしれないと感じています。
子供の頃の楽しかった経験は長く心に残ります、登山やサイクリング、カヤックをした記憶は「節約」という我慢のイメージではない、普段の生活を楽しく過ごしながら消費を抑えることを楽しめる人を育てる事に役立つのではないかと期待しています。

カヤックツーリングは「道路の無い海の上で道を探す事」「健康と安全について考える事」「楽しむ事」が全てです。
これは生きていく時に必要なことをとても簡単に経験していく事になるはずです。
どういう道を選び生きていくか、健康を保つことに興味を持ち、危険をいかに回避するか、どうやって楽しく生きていくかを考える事は生活の基本ですが、慌しい生活の中ではついそれを忘れてしまいがちです。
カヤックを漕いでいると生きるのに大切なことの順序が思い出されるような気がします。

先日「ウルトラライトハイキング」という本を読みました。
装備を出来るだけ身軽にし、自らの身体と環境への負担を抑え、自然を出来るだけ皮膚で感じながら長い行程を行くスタイルだそうです。
ここには「自ら運べるものを運び」「自然のなかをやさしく歩き」「自然の中でそっと静かに眠り」「自然の営みに気づき」「自然とのかかわりを考える」という命題がありました。
その結果がウルトラライトだったという事です。

これはまさに人が生きていくうえでの理想的なスタイルを体験する為の方法なのだと感じました。
今の時代は「多くのモノを持ち」「自然の失われた世界で眠る事も無く騒々しく走り続け」「自然の営みは見る事ができず」「自然とのかかわりを考えるきっかけを見つけることも難しい」…というものです。
良い事も悪い事も時代の先を行き、既に失ったものの多いアメリカで育った若者がウンザリするような世界からの避難先として選んだのがここなのかもしれません。
床面の無いシェルターやタープだけでは寒い夜もあるでしょうし、雨が染み込みやすいランニングシューズは気持ちが悪い事もあるでしょう。
しかしだからこそ体で感じられる事が多く、ウェアーやテントではなく体がその環境を乗り越えたのだという自信にも繋がるのでしょう。
また簡素で効率の良い食事は将来迎えるであろう食糧の少ない世界への早めの順応準備になるのかもしれません。

退屈な文明から離れる為にアウトドアへ逃げ込んだ時代が過ぎ、今度は「世界が変わっても体ひとつあれば楽しく生きていける」という自信を持つ事が本能的に必要と感じられた結果の新たなアウトドアの時代が来たのかもしれません。
異常に大きな災害や部分的一時的文明崩壊への耐性が次の世代に求められているのは我々今の人の責任なのでしょう。
次世代に生き抜く術を伝えるのは我々の世代のせめてもの償いなのかもしれません。

本当に信じられるものの少ない世界で育つのは大変不安な事だと思いますが、今の子達はそれを強いられる事になりそうです。
彼らにはアウトドアでの活動を通して本当に信じられるのは自分と健康を保つ自らの努力だけだという事に気付いて欲しいと思います。

明日から6月になります。
今年も南房総のウミガメ調査を始めるつもりです。
余震の影響でツアーはまだ再開できていませんが、できることを続けていきたいと思っています。
来月の日記ではウミガメのことを少し書けたら良いな、と思っています。

参考図書
「ウルトラライトハイキング Hike light,Go simple」土屋智哉 著 山と渓谷社 発行






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