いくつかの台風が房総に影響を与えていきましたが特に15号は長いこと波を届けましたし、更に通過時は関東では久しぶりの強風を我々に経験させました。
南房総のウミガメの巣もこの台風により波を被り、一部はおそらく流出し、私の確認した巣ではほとんどが影響を受けました。
15号が去った次の日(22日)、白浜町の海岸でビーチコーミング中にアカウミガメの子に遭遇しました。
午後の日差しの中、台風で打ち揚がった物の並ぶ線上よりも少し海側を歩いていました。
時々写真のように首をもたげて「海はどっちだ!」と探しているような様子でした。
しかしその目には砂がびっしりとこびりついています、果たしてそれで目が見えるのか??
と思いましたが、もしかすると匂いをかいでいたのかもしれません。
カラスがうろついていましたし、放っておけず波打ち際に運び自然に海に帰る様子を見てみました。
冷たい水に浸かって急に体温が下がると動けないと以前聞いていましたので心配ですが、陸に置いておく訳にもいきません。
その後押し寄せた波であっという間に子ガメは海に消えてゆきました。
海面で呼吸する姿が見えないかなと思いましたが見つける事は出来ませんでした。
無事大きくなると良いなと思います。
この海岸でも8月10日産卵確認の巣がありました。
この巣から出て来た子ガメとしては少し時期が早いですし、その巣はこの場所から岸に沿って130mも離れています。
もしこの巣の子ガメだとしても巣は潮間帯のすぐ上にあり、街灯など人工物に影響を受けない適地ですから、孵化し巣から脱出した子ガメが海に向かわずにこれほどの距離を歩いてくるとは思えませんでした。
もしかすると巣内で孵化していた子ガメが昨日の台風接近時の大波に洗われて出て来た可能性もあるかもしれません。
もうひとつ私が想像したのはもっと西の海で生まれた子ガメが沿岸を流れる漂流物に寄り添って海流に流れていたところを大波で打ち揚げられたのではないかということでした。
それは以前見た巣から脱出したばかりの子ガメよりもほんの少し体が大きく感じたからでした。
それにこの子が歩いた跡を辿ると漂着物の中で終わっていて、漂着したという想像を支持しているようでした。
日中に気温が上がり体が動き易くなったところで海を目指したのかもしれません。
先月の日記で書いた根本海岸のフェスですが、当日には行けず次の日に様子を見に行ったところ海岸は元よりもきれいにゴミが片されていて良い印象を受けました。
砂浜の踏みしめが問題になるほどの参加人数では無かった様子で潮間帯の砂の固さは変わっていませんでした。
また海岸の基本的な環境改変も無く安心しました。
唯一は砂丘上の海浜植生の踏みしめによる圧縮ですが、上の写真の場所など、いくらかはやはり想像した程度の枯れ死が見られました。
今後そういう状況の群が再生されるのか弱っていくのか経過を見ていきたいと思います。
枯れていたのは主にハマニンニクで、ネコノシタは意外と変化が無いようでした。
多分ネコノシタはザラザラで固い葉なのでテントを張ったりする際にそういう場所は避けられて、柔らかいハマニンニクの群上に人が集まりやすかったからかもしれません。
これから先に行なわれる場合は植生上ではなく砂の上にテントやブースを設置するように指定してもらえれば、この問題は減るでしょう。
さらには開催が10月であればウミガメの繁殖も一段落、シロチドリも去っていて植生も花の時期を終えていて随分影響が減らせると思います。
海でのアクティビティーも提供したようですので、その点は気温の高い時期が良いのでしょうけど。
今後も開催されるのであれば年を追うごとに環境に馴染んだイベントへと進化していって欲しいと願っています。
上の写真は千倉町でのウミガメ調査行の最中に私を監視(?)していたイソヒヨドリくん。
この春は地震のために海からしかアクセスできないいつものハヤブサの巣を調べに行かなかったので、その周辺でやはり繁殖活動をしているイソヒヨドリたちも見ませんでした。
今年も無事ヒナは巣立ったのでしょうか?
イソヒヨドリの背後は海岸松林です。上の海岸写真も千倉で砂浜の後背地はほとんど松林になっています。
写真では茶色く枯れているところがありますが、これはマツクイムシによるものとされていて、その駆除のために館山市、南房総市では各海岸で毎年薬が撒かれています。
しかし見る限り一向に枯れ死した松は減りません、むしろ増えているように感じます。
6月の日記にも書きましたが今年はなんだか特にこれが気になります。
先日読んだ養老孟司氏の本で書かれていたことですが「戦争直後に、鎌倉の松は全部枯れ」たそうです。
さらに枯れたのは「松は乾いたところを好みます。手入れを怠ると、まず地面に雑草が生え、地面が湿気を帯びてかびが生える。」からだそうです。
海岸の松林は人工林ですから人の手で管理し続けなくてはいけないということで、それは薬が使われるよりも前から行なわれていた手間のかかる方法でしょう。
ところが現在では対処療法として薬を撒く事でムシを減らして「管理」と言っているのですが、これがそもそもの目的である松枯れを防ぐ事には効果を挙げていないうえに薬は毎年必ず大量に撒かれ、土壌から海まで汚染している可能性があります。
松を心配するよりもそれによる環境汚染を心配しなければいけないのではないでしょうか?
今また薬を使わない過去の手入れ方法に学び、実践してみる価値は大いにあるのではないでしょうか?
この方法であれば薬屋は儲かりませんが、手間は多く必要ですから地元の事業者への仕事が増えて結果、地元の雇用も増やせるかもしれません。
しかも自然環境と住民、観光客などの薬物汚染も防げます。
先の本でも「そそっかしい人は、松食い虫が原因で枯れたというが、松食い虫だって長年松に依存してきた昆虫だから、自分が依存してきた植物を根絶やしにするようなバカなことはしない。手入れしなくなって弱った木に松食い虫がつくのです。」とありました。
なるほどたしかに理にかなっています。
このように定期的に環境中に撒かれる薬物汚染は都市部よりも南房総のような地方において深刻です。
さらに人口増加によって田畑と隣接したところにも住宅地が造られ農薬の撒かれる畑のすぐ脇で子供が遊び、暮らしています。
特に館山市、南房総市ではラジコンヘリコプターによる田んぼへの農薬散布がいまだに行なわれています。
各家庭で自由に撒かれている除草剤、農薬も事実上規制無く撒き放題です。
自宅だけではなく周辺で気になったところに告知無く撒いている人も見かけます。
除草剤が撒かれている場所で知らずに子供が遊び、山菜を採取している人もいるかもしれません。
また野焼きも非常に多く、海岸掃除では自治体が率先して大規模な野焼きを行なっている為に市民の野焼きに対する感覚は昔と全く変わっていません。
海岸で見かける個人的な「焚火」では本当に何でも燃やせると考えている人が沢山いて、その中にはタイヤ、プラスティック製品、空き缶、ペットボトル…何でもOKです。
CO2排出を抑えるのが野焼き禁止の目的と思われることが多くなったようですが、そもそもはダイオキシン汚染を防ぐ事が先だったはずです。
国語辞典での「公害」を調べると「産業の発達、交通量の増加などに伴い、近隣の住民が精神的、肉体的、物質的に受ける種々の被害、および自然環境の破壊」とあります。
しかしここではわざわざ住民自身が環境の破壊を続けています。
残念ながら憧れの田舎暮らしを実践するには酷い環境と言わなければなりません。
公害どころか放射能汚染さえ拡大している現在こそ南房総は「陸の孤島」であることを逆手に活かして関東にありながら優れた自然環境、住環境を誇れるスポットして生まれ変わるべきだと思います。
そういう汚れていない場所を今は多くの人が求めているのですから、町の政策としてそれを強めれば当然町自体が活性するはずですよね。
引用、参考元
自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 養老孟司 著 だいわ文庫
現代国語例解辞典 林 巨樹 監修 小学館
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