カヤック日記


2013年11月の出来事


美しい群れ。ウミウやヒメウが大きな群れをつくって渡ってくる季節です。




















写真:美しい群れ。ウミウやヒメウが大きな群れをつくって渡ってくる季節です。

今月も自転車を漕ぐ頻度が高くなりました。 砂浜は海面の高さや波の高さによって砂浜の広さが変わりますので、自転車で快適に走れる海面の高さと波の高さなどの条件の変化について砂浜ごとの特徴をもっとはっきりと把握したいと思い、できるだけ様々な条件で自転車を走らせました。
毎年夏にウミガメ調査で砂浜を走る時には条件が悪くても、自転車を押すなり、エスケープするなり、特に快適でなくても調査が出来れば良かったのですが、ツアーとなればできるだけ快適に楽しんで頂きたいので条件を絞る必要があります。
また砂浜を走るルートも平砂浦海岸、千倉-和田浦間、短いものでは岩井海岸など南房総に限っていましたが、富津岬から上総湊にかけての長い砂浜もメニューにしたいと思い、何回か試走をしました。

このエリアには写真のように東京湾の中程とは思えないような自然海岸を何キロも走ることができる貴重な場所もあります。 また復路の公道も県道などの大きく交通量の多い道を避けて、素朴な交通量の少ない田舎道を選ぶことができるのを確認できて、砂浜以外も安心してのびのび走れる良いエリアと分かりました。
長年私が自転車を走らせていたウミガメ産卵地と違い、もう少しいろいろ調べないといけないので通う必要がありますが、期待できるエリアです。 条件が整った時には是非皆さんにも走って頂きたいと思っています。

東京湾内とは思えないような富津市の自然海岸。




















写真:東京湾内とは思えないような富津市の自然海岸。

ツーリングの距離は参加者の希望や体力に合わせて長くも短くもできます。 カヤックツアーと同じように出発地と折り返し点の組み合わせを変えると幾通りもルートが選べますので、気負わずに気楽にご参加頂ければ幸いです。 これから年を越して春に向かうにつれて潮の下げ具合が大きくなり、砂浜は走りやすくなります。 海辺は空いていますし、心地よい汗をかけそうです。

5日には館山市の平砂浦海岸を走った時には、なんと11月だというのにグンバイヒルガオがまだかろうじて咲いていました。 花弁の開きは小さいですが、鮮やかな花がいくつか見られました。
写真の花弁にいるチョウはウラナミシジミですが、この季節に南房総の南に面した洲崎から白浜町にかけての海岸植生に沢山現れてハマエンドウの葉や花に卵を産みます。 今回、グンバイヒルガオの群落にも多数見られましたが、グンバイヒルガオの蜜を吸う事もなく、卵を産んでいるようでもありませんでした。
しかし周辺にマメ科の植物もなく、少しグンバイヒルガオが咲いていただけでした。 ウラナミシジミは多数集まって何をしていたのでしょうか?

いまひとつ開ききらないグンバイヒルガオとウラナミシジミ。




















写真:いまひとつ開ききらないグンバイヒルガオとウラナミシジミ。

このすぐ後には鯨類の骨も拾いました、脊椎ひとつと肋骨を2本、脊椎の方は一応持ち帰りました。 鯨類と言っても小型のもので、何かイルカの類が打ちあがって、そして骨になったようです。 種は分かりません。
そんなこともありましたが、今月は他にクジラの骨に関わることを2回予定していて、いずれも国立科学博物館のお手伝いでした。 そのうちの一度は館山市の沖ノ島に2010年1月に打ちあがったザトウクジラの骨格を掘り出すことでした。

約4年前、岩場に打ちあがった9.6mのザトウクジラは、一旦船で沖に曳き出され、そのまま沖ノ島の付け根の砂浜に引き上げられました。
通常の漂着ゴミとしての処理では、このまま穴を掘って、その中にクジラを落として埋めるという作業で処置を終えますが、このクジラに関しては近い将来、館山市が骨格標本にするかも知れないという事になり、それなりの処置をしてから埋めるという事になりました。
主に人の力で皮を剥ぎ、肉を取り除き、内臓を取り出して、骨を各部に分けました。 もちろん様々な部位が研究用にもサンプリングされました。 骨についている肉もできるだけきれいに取り除き、骨が分散しないように寒冷紗を敷いた上に置いたり、包んだりしてから埋めました。 あとは地中の微生物にお任せします。

沖ノ島を背景に掘り出されたザトウクジラの骨格。




















写真:沖ノ島を背景に掘り出されたザトウクジラの骨格。

掘り出しているうちに埋めたときのことをいろいろ思い出しましたが、本当に埋めてある場所が正しいのか、さらには地中で骨がバラバラに分かれてしまっていないか結構心配でした。 この4年間には大きな地震が繰り返し起きていますし、大きな台風が、特に今年は何度も波を寄せています。 大きな地震の際には砂浜が液状化することがあり、私も過去に大きな地震の後に砂浜で足が埋もれる経験をしています。
そのような状態で、埋めたのが砂浜の中程とは言っても2mも掘れば常に水が湧きだす状態なのですから尚更心配でした。

今回の、この骨格は沖縄県の名護市の博物館に譲渡され、博物館に展示される予定ですが、実は今回の骨格掘り出しは名護市の博物館にとって2度目のトライでした。
昨年、静岡で同じく砂浜に埋められていたザトウクジラの骨格を掘り出そうとしたところ流出したのか、骨が見つからず標本が得られなかったのです。 そのリベンジとして館山市が放棄した骨格を名護市へ譲渡することが決まったのですが、今回見つからなければ…と、私も心配で掘り出しの前日にも場所を確認に行ったりしてソワソワしていました。
最初に骨が出て来た時には内心とてもホッとしました。 数年後に無事骨格標本が展示されるのを今からとても楽しみにしています。

船越鉈切神社の参道。この奥にイルカの骨が見つかった洞穴があります。タイムスリップな感じ。































写真:船越鉈切神社の参道。この奥にイルカの骨が見つかった洞穴があります。タイムスリップな感じ。

このようにクジラが頻繁と言ってもよいくらいに打ちあがる南房総ですが、太古にはもっと多くの鯨類が普通に目の前を泳いでいたようです。
江戸時代に始まった東京湾の捕鯨は館山よりももっと東京湾の奥に位置する勝山が起源ですし、館山の浜田地区にある船越鉈切神社にある洞穴では、多種の動物や魚の骨に交じって、イルカの骨も見つかっていて、これらは縄文時代の狩猟の形跡とされています。
そう考えると今ではクジラが暮らすには快適でなくなってしまった東京湾にクジラやイルカが時々でも泳いでくるのは、別に「迷い込んだ」というわけでなく、餌が豊富で穏やかに休息もできるはずの東京湾に「立ち寄った」というだけのことで、時化の日に穏やかな館山湾で船が停泊するようにクジラも一息ついていただけなのだろうと想像できます。
しかし東京湾に立ち寄ったクジラが死んでしまうのは、なぜなのでしょうか? 東京湾を行き交う非常に交通量の多い船舶との衝突事故かもしれません、非常に大きくていくつもある定置網に迷い込む例は幾度も確認されています。

水面が穏やかで、食用に向いた生物が多く、人口密集地に近いという、人にとってとても都合の良い東京湾を我々人の暮らしが影響を与え、クジラにとって暮らし辛い海にしてしまったようです。 もしも、東京湾でカヤックを漕いでいれば時々は悠々と泳ぐクジラや、数百という群れになってカヤックを取り囲むイルカの群れが普通に見られるというような世界が東京湾に戻ってくるとしたら、それは人の暮らしが今とは随分違ったものになっていることでしょう。
もしくは、このままの生活様式のまま時代が進み、環境が荒廃した後に人の暮らしが衰退し、人口が減り…という事が起きたときにもクジラは戻ってくるかもしれませんが、そうなる前にクジラも暮らせる東京湾を目指すことで結果的に人の生活も長く続くのではないかと考えたりしました。
全ての基準を人の暮らしに合わせるのはそろそろ無理が来ているようです。

日が落ちるのが早く夕日を見ることが増える季節になりました。




















写真:日が落ちるのが早く夕日を見ることが増える季節になりました。



関連リンク

2010年にザトウクジラが打ちあがった時の様子はこちらをご覧下さい。「2010年1月のカヤック日記」

掘り出し時のニュース映像(TBS ニュースi)

名護博物館ホームページ





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