カヤック日記


2014年1月の出来事


外房、和田町の砂浜と美しい山々。




















写真:外房、和田町の砂浜と美しい山々。

今月も自転車を漕ぎました。
現在のところツアールートとして設定しているのは高低差が少なく、自転車に慣れていない方にものんびりと楽しんで頂ける上に、海を知ってもらうためのツアーとしてのシーカヤックツアーの延長として適当な、砂浜を加えた海岸線をメインにしていますが、個人的な自転車を用いた探索に関しては先月に引き続き、やや内陸寄りになりました。
先月までは沿岸ルートが自転車に適していない場合のエスケープとしてのルートを内陸に求めての探索が主でしたが、徐々にそれに拘らなくなり、海から眺めていた丘や谷へなんとなく入ってみるという事も多くなりました。 それに伴って自然に川を遡るようなルートになることもありました。
多くは川が細くなるにつれて谷が細くなり、道も行き止まりとなっていたり、ほとんど人の入らないような山道になっていて自転車では通行不可能だったりしました。
それでも、そういうところまででも自転車をこいで行くことで、身近な海がどのような森から栄養や砂を得ているのかを直に見て肌で感じられる良さがあることに気づきました。

富浦の海岸に注ぐ川を遡った時。上流は想像以上に素晴らしい山でした。




















写真:富浦の海岸に注ぐ川を遡った時。上流は想像以上に素晴らしい山でした。

大きな川が海に注いでいる地域ではカヤックで水面を流れながら、水の一部になってそれを経験することができますが、南房総のように細い川しかない地域ではシーカヤックに乗ったままではできない事で、代わりに自転車という乗り物を使う事で可能となりました。
クルマでも簡単に広い範囲で探索が可能ですが、やはりそのスピードと閉鎖的な室内が災いして、見逃しが多い、感覚が鈍る、間近に観察をしたいときにいちいち車から降りるという動作自体が効率が悪く、自転車の方がよほど効率的だと改めて感じさせられました。 もちろん徒歩でも良いですが、自転車を使う事で行動範囲が楽に広げられて、房総のような半島では川は水源域までの距離が比較的短く、高低差も少ないことから、自転車では一日でこれらの川を辿ることができるので適度に効率的で飽きにくいと思います。

魚を見つけてダイビングしたミサゴ。ミサゴが捕えた魚は山に持ち帰られ、海の栄養の一部はこういう形で山に帰ってゆきます。




















写真:魚を見つけてダイビングしたミサゴ。ミサゴが捕えた魚は山に持ち帰られ、海の栄養の一部はこういう形で山に帰ってゆきます。

今月は随分と風が吹き、海はよく時化ました。 そういう点でも冬から春は天気に合わせて柔軟に自転車に切り替えると運動量を確保できるように思います。
北から、南からと交互に風に煽られて海辺の植物はどの海岸線も塩に満たされました。 沖の方から強い風と大きな波が寄せる時には、岩場や砂浜に砕けた波が霧状になって風に乗りずっと陸の奥へと流れていきます。 それらは塩分を内陸に運び、塩類の多い環境に適応した種の住む場所を確保する手伝いをしているかのようです。
「塩害」という言葉がありますが、あれは人間にだけ有用な「作物」と呼ばれる植物にとって害があるというだけの事であって、すべての植物に害があるのではなく、塩分が舞い降りるような場所はそれなりに適応した植物が住むべき場所であり、山から海辺へと侵入してくる競争相手を駆除してくれる味方なのです。
人間が塩害と言って、塩分に弱いはずの植物を遺伝子組み換えなどして手を加え、耐塩性を持たせて自然界にばら撒くことで、耐塩性植物の暮らすべき、元々面積の少ない海岸線に沿った細長い線状の貴重な生息地を追われることが、これから先に絶対起きないとは言い切れないでしょう。

海岸のガレ場で葉に塩の結晶をたくさん付けたボタンボウフウ。




















写真:海岸のガレ場で葉に塩の結晶をたくさん付けたボタンボウフウ。

とても乾燥していて、潮風が強かった今月はそんな植物の葉に塩の結晶がよく見られました。(写真上)
これは潮風に含まれていた塩分が乾いて結晶したものなのか、もしかしたら耐塩性植物に見られるという葉の塩類腺とよばれる塩分排出の為の腺から分泌された塩分が乾いたのではないか?とも思いましたが、どうなのでしょう。 写真のボタンボウフウでは比較的よく見られましたし、低木のトベラの葉にもはっきりと結晶したものを見ましたが、これらの種に塩類腺があることは確認できませんでした。
南房総でもよく見られるオニシバという砂浜に見られる芝には葉の裏側に塩分を排出する腺があるそうですが、見たところではよく分かりません。

このように海岸性の植物は環境中の塩分に対応し、様々な変身を遂げてきました。 葉の表面を艶々やザラザラに保護コーティングして水分の蒸発を防いだり、塩分の侵入を防いだりしています。 また葉に厚みを持たせて水分を保つ工夫が見られるものもあります。
更には総称してマングローブと呼ばれる植物のように、海水の中で暮らすことさえできる種も多数みられます。 南房総では海岸線の塩分を含んだ湿地にも耐えられるという程度の、ツルナやオカヒジキ、ホソバノハマアカザなどの小振りな植物が見られます。
他に塩水に浸かるというほどではないけれど潮風には耐えるという沿岸性の種は樹木も含めて非常に多くの種が見られます。

照葉野茨(照葉野薔薇)、テリハノイバラ。




















写真:照葉野茨(照葉野薔薇)、テリハノイバラ。

これらの海岸に適応した植物が南房総では随分奥の山の中にも見られます。
昔、縄文時代の頃に海面の高さが上がり、それによって海辺が今の山間の谷にまで及んだ時には塩分に適応した海浜性植物が暮らす場所が海面と共に移動したので、その時代に山の中に分布を広げ、その後に海面がまた遠ざかってからもそこに留まることができたということなのでしょうか。
そう考えると「海岸」や「海辺」とはどこまでの事を言うのかはとても曖昧なものだと感じます。 生息する植物でそれを区分けしたいくらいですが、植物は柔軟で人が思うよりは自由です。 水際から何メートルまでという風に単に距離で決めるのも単純すぎるように思います。
Wikipediaには「海により形成された陸地部分を指す」という定義も見られましたが、それでは縄文海進で地形の変化を受けた山も海岸なのでは?と思ったりもします。 また生物主体で考えると耐塩性を得た植物の分布域を海岸だとしたとしたら、「海岸」はもっともっと山の奥にまで広がることになります。
そう考えると川もどこからが海で、どこからが川なのかという風に分けるのも難しいような気がしてきます。

館山市洲崎神社の森。




















写真:館山市洲崎神社の森。

そんな風に考えてみると「海や海岸を調べる」という事は海に関係する水の姿とそれが関わる周辺環境を調べれば良いのであって「海」そのものだけを調べれば良いわけではないのだと、改めて気付かされます。
最近では海を護る知るためには、山を護り知らなくてはならいないということが定着してきました。 私も自転車を足として水の出所を見て歩き、その水の最終的な行先である海ではカヤックを浮かべながら、水そのものを感じるという事で感覚的にももっと海を知ることができるようになれればと思っています。
少し先には房総の海辺に注ぐ水の生まれた場所もご案内できるように、自転車を使ってもっと多くの「海辺」を探索しておきたいと思います。

もうひとつ!今年も内房某所のハヤブサが繁殖に関わる行動を見せ始めています。またここで良い知らせをお伝えできるかと思います!

貝殻拾いにも良い季節ですよ。




















写真:貝殻拾いにも良い季節ですよ。



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