あけましておめでとうございます!
今年は酉年ですから昨年まで以上に鳥に、特に海の鳥、海鳥に力を入れていきたいと思っております。
一昨年から始めたミサゴの個体識別は順調とはいえないものの、少しずつミサゴの見られる場所や移動方向などの情報を増やしています。
2017年はミサゴで何かひとつ得られれば!と思っています。
写真:ヒヨドリの群れを脅かしながら悠々と飛ぶハヤブサ。
ミサゴを見に行って他にみられる鳥には様々なものがありますが、特にハヤブサは以前から繁殖を観察していますし気にかけています。
これも同じように個体を識別できると面白いのですが、とても無理なようです。
ハヤブサを見つけるには彼らが餌とするヒヨドリの群れが、海を渡るために現れる海岸をチェックしておくと良いです。
ヒヨドリが海を渡ろうか…と悩むように沖に出ては岸の繁みに戻るを繰り返している様子はハヤブサを警戒している場合が多いようです。
沿岸海上で捕食される場面は私も幾度か見ていますが、見晴らしがよく、隠れる場所のない海面上を飛ぶ時が最も危険なことを良く知っているようです。
海を渡ろうとしているヒヨドリの群れを、はたしてハヤブサがどれくらい沖まで追いかけるのか分かりませんが、落ちるような速度で上空からヒヨドリの群れに突っ込んで行き、海面上に蹴落とした一羽を拾い上げて帰る姿はヒヨドリの身になってみるとなかなか恐ろしいものです。
大晦日に観察したヒヨドリの群れは幾度か沖と岸の繁みとを行き来した後にハヤブサが追って来ない事を確認したらしく、やや安心したように富士山の方角に飛んでいきました。
しかしまた対岸でもハヤブサが現れるかもしれないのですから、なかなか厳しい生活ですね。
同じ猛禽類のノスリも海岸線でよく出会う鳥ですが、こちらは模様の特徴から個体識別ができる可能性がありそうです。
ミサゴのついでで記録していくと海岸線に出没する個体の傾向が何か分かるかもしれません。
あくまでついでですが。
写真:西に向かい飛び去ったヒヨドリの群れ。
大晦日には別の太平洋岸で100羽以上の海鳥の混群に遭遇しました。
カヤックによる海上での観察ではなく、これもミサゴ探し中の海岸からの事でした。
カヤックで海上にいるとそばで観察ができて良さそうですが、種によっては岸から離れて観察する方が鳥が逃げることなくじっくり見ることができるという場合もあります。
ウミスズメの類やミズナギドリの仲間などはカヤックをあまり怖がらないのでカヤックでの観察の方が優位ですが。
今回見た群れは珍しい混群で、まず多かったのがオオハムという一見するとウミウと思う人が多いのかな?という黒と白の首の長い種で、私も群れまでは距離がありましたので最初ウミウの群れだと思っていました。
しかし海面上に立ち上がって羽搏く姿が、ウミスズメのような感じでウミウの動きとは違い、これは違うなと思い望遠で撮影し確認したところオオハムかシロエリオオハムかな?ということで、多数撮影して帰ってPCのモニタで再度確認してオオハムと分かりました。
ウミウの群れには大抵ユリカモメが纏わりついて、ウミウが水中にもぐって捕ってきた魚を横取りしようとするのですが、このオオハムの群れにも同じ理由でユリカモメがいくらか集まっていました。
しかしオオハムが捕食活動をしていなかったために、活発に探餌するウミウの時ほどのユリカモメに真剣さは感じられませんでしたが。
オオハムの他にも明らかに小さな潜れる鳥がいて、それはカンムリカイツブリとウミアイサと写真から確認できました。
ユリカモメ以外はどれもカヤックを怖がってすぐに飛び去ってしまう種類なので、やはりこの群れに遭遇したのが岸からだったのはラッキーだったと思います。
これら多数の潜れる鳥たちが水中での採餌も行わず、岸沿いでこれほどの群れを一緒に作って浮いていた理由は分かりませんでした。
海の状態が悪い時には岬の影の風が当たらない場所に様々な鳥が避難するために集まっていたりする事はありますが、この日は風がなくどこに行っても穏やかで、南からうねりが少し入っている程度でした。
写真:オオハム、カンムリカイツブリ、ウミアイサ、ユリカモメの混群。
鳥などの動物を探したり観察、撮影していると、カメラはとても重要な道具で忘れてしまったり故障してしまうと目的の半分が失われてしまうようなものです。
私にとってのカメラはハンターにとってのライフルのようなもので「獲物を探し、撃って、捕獲、調理」という流れが「被写体を探し、撮って、写真、記録整理」と変わるだけで、つまり仮想ハンティングのような感じだと思っています。
カメラとライフルは道具としても良く似ていて、円筒の先端部と対象を狙うためのファインダーが付いていて、グリップなども人の握りやすい形という共通点から似た形になっています。
ライフルを使った事はないですが、不思議と色合いも似ているのが面白いです。
ただ機材が黒っぽいのは光が多くて明るい海岸や海上での「ハンティング」には向いていないように感じます。
周辺の白っぽさの中で黒い塊はコントラストが強すぎて動物の目に留まりやすく感じます。
例えば海岸で鳥を見る時は頭髪の黒よりもベージュのような淡い色の帽子を被った時の方が接近しやすく感じます。
海岸で黒というとカラスがいますが、彼らは山にいる時よりもかなり目立っています。
そして黒はカラスの色=捕食者の色となって例えば繁殖中のシロチドリなどはとても警戒する色になっています。
写真:ミサゴ。
猛禽類の体の下面が主に白っぽいのは空の色とのコントラストを弱めて餌生物に気づかれ難くするためでしょう。
ノスリやミサゴの白い翼下面や腹は茶色のトビや黒いカラスに比べて気づくのが遅れるように感じます。
ハヤブサの細かい縞々の下面は白よりもさらに目立ちにくくする効果があるのかもしれません。
縞々は捕食直前に餌生物の目に混乱を招くにも役立つようです。
と、今これを書いていたところ、家の外でフクロウが鳴きました。
フクロウは夜間に捕食する猛禽類ですが、なぜ黒い体色を得なかったのでしょう?
逆にカラスはなぜ日中に活動するのに黒い体色を得てしまったのでしょう?
カラスが黒いということ、特に下面まで黒いということはなかなか不思議なことだと思います。
写真:夕焼けの中を群れで移動するウミウ。
カメラがライフルに似ているようにシーカヤックはイヌイットやアリュートが使っていたハンティングボートであるカヤックに似ています。
というかほとんど材料が変わっただけとも言えます。
撮影が狩猟の補殺を伴わない疑似体験であるように、シーカヤッキングも実生活を伴わない疑似体験的狩猟生活を楽しむ為のものとも言えます。
対象生物の死を伴う活動にはそれなりの責任が伴いますが、撮影という「捕獲」の場合では相手を不必要に傷つけないことが無いことから大きな責任を伴わずに、その対象を別の形で得る満足感や、捕獲までの経過を楽しむことができるという気軽さがあります。
シーカヤッキングという行為も、北の人々が行っていたように今日明日の生活のために獲物を探さなければならないという責任を伴うことなく、しかしその自然の中での生物の動向を知ることの面白さや難しさ、海という自然環境を知り狩猟航海に役立てるという疑似的な楽しみを得ることができます。
ただし、海に出ること自体がいつでも命がけである点は変わりなく、そこに社会的な責任が伴う点はむしろこの時代に漕ぐ事の難しさではあります。
しかし「生活」のためのカヤッキングではないという事から自分自身の安全と楽しむということに集中することができ、明日の生活のために無理をする必要もなく、その昔のカヤッカーの生活の一部を疑似体験することができるという楽しみがあります。
写真:館山の対岸には富士山。
カヤッカーが本来的にハンターであった頃の狩猟のホームウォーターはどれくらいの範囲だったのでしょう?
地域によっては遠出をするときには私たちがクルマにカヤックを積むように橇にカヤックを積んで行ったりしたと思いますが、アリューシャン列島のような島の住人であればハンターたちは主に家の前から海に漕ぎ出していたでしょう。
狩猟に使う場所は良く知っていないと無駄が多くなって探索にばかり時間を使うことになるので豊かな海であれば遠出をする必要は少なくなります。
未知の場所で優れた狩場を見つけた時の興奮は病みつきになりそうですが、しかし生活のための活動であった狩猟では無駄が多く、それよりも安定の方が重要だったでしょう。
それに獲物を持ち帰る距離がますます伸びて行く事にもなって、重量と鮮度という点で消耗も発生してきます。
ただ北の寒い地域では腐敗が進まないという大きな利点がありますが。
狩りはやはり住居からある程度の範囲のフィールドで行うのが実際的で、しかし遊びとしてはワクワクした気持ちを保つためにいろいろな処へ出かけたいという「疑似体験」というには相反する要素が出てきてしまうということになります。
もちろん遊びなので、そこに拘らず楽しむのが良いのですが、調査や記録を採るという点では住居からある程度の範囲で行うのがやはり無駄がなく、結果的に継続に繋がると実感しています。
そう考えるとシーカヤッキング以上にフィールドでの生物記録観察はより狩猟生活に近いのかもしれないと思ったりします。
たまにクジラも捌きますしね…。
その生物記録観察生活の中に狩りの手段としてシーカヤッキングも含まれているという感じです。
というわけで、今年もシックスドーサルズは南房総の海に拘ってご案内していきたいと思っております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
写真:岩場に咲くイソギク。
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