写真:今月後半は季節移動中のカモメ類の大群の密度がとても高い場所がいくつかありました。
先月に引き続き、ミサゴの移動記録が取れました。
2015年から始めた記録がやっと成果を見せ始めたようです。
しかし実際はもっと時間がかかると思っていましたので、思ったより早いというのが私の印象です。
写真を見比べて、似た個体を探し出すのにも慣れてきたようで、かなり溜まった写真の中から次々見比べていくのも楽しい作業です。
当初個体識別をしてミナミハンドウイルカの時のように番号を振ってカタログを作ろうと思っていましたが、それよりも撮った写真を並べたファイルから、その日に撮影した個体がどれと一緒か、そして前に撮った写真はいつのどこだったのかを毎回見ていく中で、面白い結果が導けるものをピックアップしていければ良いかなと思うようになりました。
個体ごとにファイルを先に分けると、私自身の見分けの慣れの段階が進んでいくにつれて識別精度も変化していくと思うので、むしろ個体別ファイルはまだ早いと感じたこともあります。
今回の個体も確実に同個体なのかを自信を持って判定するにはもう少し経験が必要だと感じていて、例えば10年先の自分がOKを出すのか今は分かりません。
それでも、実際に多くの写真から見比べていく中では、ほぼ同じに見えると感じました。
写真:2017/02/04某所撮影のミサゴと2018/02/27某所撮影のミサゴの比較写真。
この個体が同一だとすると直線で20qの距離で再記録、時間の経過は約1年となり、私の中の記録では最長距離の記録となりました。
ミサゴの飛行能力からすれば20qという距離は散歩程度のものかもしれません。
だからその距離を飛んだという事には驚きはありませんが、ミサゴがみられる場所はある程度絞られていて、行けば大抵いるというような場所もあります。
それでつい「いつもの個体がいる」と思いがちですが、実は姿が似ていて、同じ種類でも「いつもの」ではなくて、いつも入れ替わりしながら、それらが餌を取る範囲をまたがりながら暮らしていて、同じ種ですから同じような場所で魚を捕っているだけかもしれないということを確認したいと思っています。
今回のように20q離れたところで見た個体が、ここにいるということを実感すると、実はこの個体は朝20q先で魚を探し始めて海岸に沿って繰り返し採餌しながらここまで移動して来て、夕方になればまた20q先まで飛んで帰るのかもしれないという事も考えておかなければならないと思います。
だとすると、場合によってはここでこの個体を観察した後に、たまたまその20q先の海岸で夕方にまたこの個体と遭遇することもあり得るわけで、そうなった時にそっくりな個体と判断するか、同一個体がこの短時間でこれだけの範囲を利用していたと考えるかで結果が大きく変わってしまいます。
ですから、今回のような経験をひたすら積んでいくしかないので、10年後の自分が納得するかどうかを考えつつ、10年後の自分がこの時の経験から何かを得られるように考えて、今を見ていかないといけないなと思っています。
写真:海岸で見つかったシュウマイ弁当の醤油入れ。
相変わらずビーチコーミングも続けています。
人工物の漂着も海岸毎の傾向が大分掴めて来たような感じです。
そろそろ何々がありそうだな…と歩いていたら、実際それが見つかったりすると、ちょっと不気味なくらいというような感覚も出てきました。
しかし、それには多少の根拠があるのですが。
写真のシュウマイ弁当の醤油入れはそんな感じで見つかったものでした。
そして穏やかな笑顔で迎えてくれました。
海岸になんでシュウマイの醤油入れが落ちているのか?と考えてみると、「昔のゴミ捨て場であった土手から…」というよりも、シュウマイ弁当の役割を考えた時に電車で来た釣り人が往路のどこかの駅でその弁当を買い、釣りの合間にシュウマイを食べ、そして…というイメージが沸きます。
館山に住んでいる人がシュウマイ弁当を家で食べて、捨てたとは考えにくいでしょう。
また、この醤油入れのデザインはインターネットで調べてみたところ1955-1987年のものとありました。
昔の南房総は道の便が悪く、ほんの20年前でも高速道路も来ていませんでしたから、賢い釣り師は電車通いだったのかもしれないなと考えたりしました。
…と考えていくと、「岩場の先や堤防の先に釣り人がいつも立っているその側の海岸を見れば彼らと出逢いやすいのだろう」と推測できてきたりするわけですね。
そういう背景も考えて拾い物をする楽しみは自然物での生息条件を理解して、拾得できる場所を見当付けるのに似ています。
醤油入れの場合は人間の行動と時代背景を理解するということになりますね。
当初思っていたよりも人工物のビーチコーミングも案外面白いです。
ただし、そのモノ自体は断然自然物の方が美しいですね。
写真:塩見に漂着していたアカウミガメの死骸。あらゆる自然物の漂着には、まず死があるということを忘れないでいたいです。
自然物の中にも時々人の加工が施されたものが捨てられているという場合もあって、少し前には房総半島にいないはずのウミウサギという貝の殻を海岸で見つけたことがありました。
もっと南方にしかいないはずですが、もしかしたら黒潮に乗って…???とか考えたりしましたが、持ち帰って掃除しながらじっくり観察してみると人の加工の形跡が見つかりました。
ガッカリしましたが、なんだかスッキリした感じでもありました。
しかし加工がなかった場合、通常の分布を超えた例外的な事例とするか、悩んでしまうでしょう。
そういう点でも投棄はやめてほしいですね。
死骸を自然環境に捨てるのも、分布外での生物を自然界に放つのと同じような害があるわけです。
しかし、今月の初めに拾った下の写真の貝殻は「もし人の加工品だったとしたら!」と逆にワクワクした例でした。
正確に言うと「ずっと昔の人による」という言葉を加えた方が良いですが。
最初この貝殻を拾った時には「珍しくきれいに輪っかに摩耗したもんだなあ〜」という感じで気に入って拾って帰ってきたものでした。
それでこの貝のことを調べたりしている中で貝輪というものについて触れているサイトが出てきました。
このツタノハという種に近く、伊豆諸島などに分布する大型のオオツタノハという貝が縄文時代に装飾品である貝輪に使われていたという内容でした。
その発掘されたオオツタノハの貝輪の絵が今回拾ったツタノハの様子にそっくりで「もしかして!?」とワクワクしてしまったのです。
写真:貝輪のようになったツタノハ。
もちろん、種も違い、古そうな貝殻ではないですから自然にたまたまこういう形で風化したものと思いますが、ほんの少しでも可能性があるかも!?と思えたのは楽しかったです。
腕に通すには小さすぎて親指で指輪になるようなサイズでしたから、紐をつけてネックレスにしてみました。
自然による偶然の造形だとしても、昔の人が作ったものにしても、自然の造形美がベースにあって初めて可能な、やはり人工物ではありえない美しさに溢れていると思います。
もったいないので、結局首に下げる機会はほとんどないのですが、一生大切にしたいものとなりました。
縄文人の美的センスは最近も注目されていますが、丸木舟とカヤックの繋がりや、南房総と縄文時代との関係など、ここからいろいろまた広がるものもあるので、少し勉強をしていきたいなという気にもなりました。
我が館山市塩見近くには鉈切洞窟遺跡という縄文時代の人々の生活の痕跡が見つかっていて、そこでも貝輪が見つかっていますし、丸木舟もあり、大量のイルカの骨も見つかっています。
写真:縄文人も館山湾越しに見ていたであろう富士山。
そういう場所で、丸木舟のようなカヤックを漕いで、時にはイルカの群れを見て、その昔と変わらぬ漂着した貝殻を見ていると思うと、それほど人間も館山の海も変わっていないのかもしれないなと思ったりしました。
そして、その時代にもきっとビーチコーマーはいたと思うのです。
貝輪のような美術品を創る感覚を持っている人々が、打ちあがる貝殻の中から普段食用に採取していないような美しい貝を見つけた時に手に取らなかったと考える方が難しいと思います。
少なくとも子供たちはそれを拾って何かのおもちゃや、大人のまねをした装飾品にしていたのではないかなと想像しています。
そうすることで、その地域に棲んでいる貝類を覚えることができますし、食用の採取の際に手を触れてはいけない毒をもった種も見慣れて覚えられますから、生きることに直結する勉強にもなったはずです。
今日もまた風がかなり強く吹いていますから、明日辺りは良いビーチコーミング日和になりそうですね。
一方、先月までに比べると穏やかな凪の日もずいぶん増えてきましたし、気温もかなり暖かな日が多くなってきました。
シーカヤッキング日和な季節になります。
カヤックを漕いで、歩いては行きにくい穴場ポイントへ出かけてのビーチコーミングというのも楽しいですよ〜。
写真:夕焼けに染まる海辺。
参考
崎陽軒ホームページ ひょうちゃん
たてやまフィールドミュージアム No.19 館山湾の洞窟遺跡(2)館山市鉈切洞窟遺跡〜『大日本史』に記された10艘の丸木舟
市原市埋蔵文化財 調査センターホームページ 考古学研究室 研究ノート 貝の考古学(1)貝から読み取る先史時代の人々の交流 忍澤成視 著
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