カヤック日記


2020年4月の出来事



写真:2002年12月、南房総市根本沖を泳ぐミナミハンドウイルカ。












写真: 2002年12月、根本沖を泳ぐミナミハンドウイルカ。

4月といえば、いつもはハヤブサの繁殖、スナビキソウ群落にやって来るアサギマダラ、その他海浜植物の発芽、開花状況を確認して、そのうえでゴールデンウィークもありとなかなか動きが激しい時期なのですが、この20年ほどでは2011年に次いで行動を抑えた4月となりました。
先月の日記で書いたようにフィールドの記録は仕事だと思っていますので、最低限の情報収集は自転車でのトレーニングを兼ねて行いましたが、それは本当に最低限で、継続的な記録の蓄積ということで考えると後々困りそうな「ほぼやっていない」と言える状況です。
しかしフィールドがほとんどは自転車で行けるような場所でしたので(いけない場所は諦めました)、それは本当に良かったです。
やはりこういう時に感じるのは、遥か遠い場所の事を調べるのではなく自分が住んでいる場所を拠点に普段から時間的、金銭的コストを抑えて移動できる範囲の事を調べてきたのは正しい方法だったということでした。
どちらにしても、そうでなければ継続できませんでした。
例えば、家から数百キロ離れた所に棲む生き物を時々出かけて調べるよりも、それぞれが各地で庭や散歩で行ける範囲の自然を日常的に調べて共有すればもっと濃い情報が得られると思うのです。
だから、調べたい対象物があるのであれば、その場所に住んでしまうというのが実は簡単で苦労も無く、多くを得られる方法だと思います。

というわけで、今月はほぼご紹介するものがなく、あっても、それは遠くからフィールドに行くお誘いをしているようなものですから、今は控えたいと思います。
それで、いつも南房総の海辺の出来ごとを紹介してきたこのページで何をアップしたものか?と悩んでしまいましたが、こういう事を私自身がするようになった経緯を少しお話しさせて頂くのも良いかなと思いました。
写真は本文の流れとは関係なく過去の日記から目立つ出来事、写真を選んでみました。
写真の日付のリンクを見ていただくと当時の記事がありますので、そちらも是非ご覧ください。

写真:2004年2月、南房総市根本沖を泳ぐ1998年の観察開始の時には赤ちゃんだったスノと名付けたミナミハンドウイルカ。水中での撮影はエスキモーロールで行いました。















写真:2004年2月、南房総市根本沖を泳ぐ1998年の観察開始の時には赤ちゃんだったスノと名付けたミナミハンドウイルカ。水中での撮影はエスキモーロールで行いました。

そもそも私がシーカヤックを始めたのは小笠原の父島で民宿のアルバイトを半年間したことにありました。
島には1991年の9月から1992年のゴールデンウィークが明けるまでを過ごしたのですが、おがさわら丸に乗った時にもまだシーカヤックもホエールウォッチングも知らないでいました。
島で過ごすうちに、ちょうどクジラの季節だったこともありクジラとイルカ、それにちょっとシュノーケリングをすれば出逢えるウミガメに興味を持ちました。
小笠原での民宿のバイトは船が入っていない日にはあまり仕事がないですし、昼休みは長く、毎日泳ぐこともできました。
小笠原でのバイトを選んだ理由は子供の頃に通っていたスイミングクラブの夏合宿(という名の島暮らし体験?)が毎年、伊豆諸島のどれかだったのですが、その伊豆諸島の更にずっと先にあるという小笠原には合宿では行く事はなくて気になっていた(たしか先生が話していた)のと、島でのんびり泳いだりしながら過ごすのは楽しそうだなというだけの事でした。
アルバイトをしてお金を貯めてカナダに出かけるという目標もあったので、島ではお金の使いようもないだろうから貯まるだろうという目論見もありました。
当時の父島は日本でのホエールウォッチングの始まりの地となっていたわけですが、クジラを実際に見た時の驚きは、何も知らずにいた自分に大きな影響を残しました。

写真:2003年5月、シロチドリの卵(巣)。海岸に卵が産んであるという事に気づいた頃。












写真:2003年5月、シロチドリの卵(巣)。海岸に卵が産んであるという事に驚き、気づいた頃。

その後、バイト代を使い果たしてはいけないので、あまりホエールウォッチングのボートには乗れませんでしたが、民宿の知り合いの漁師さんの漁船でクジラを見に連れて行ってもらった時には、船長の知り合いのご夫婦(?)がシーカヤックでクジラを見ている現場に遭遇したのでした。
あんなに小さな手漕ぎのボートで自由にクジラを見られるのは最高だろうな〜と思ったのが初めてのシーカヤックとの出逢いでした。
島にいる間にガイドツアーに参加してシーカヤックに乗ることはできたものの、海の状況が悪かったこともありツーリングやクジラの観察はできず湾内での講習だけで終わりましたが、シーカヤックの可能性を感じるには良い機会でした。
そして、小笠原に行く前には曖昧な予定でしかなかったカナダでの予定が全てクジラを見るためのサイクリングとなったのでした。
カナダでクジラといえばバンクーバー島ということで、そしてなによりもシャチを見ることが目標となりました。
マウンテンバイクを輪行して飛行機に乗り、バンクーバーではユースホステルに数日滞在して、初めての海外慣れを含め準備をしてからバンクーバー島へ渡りました。
道中にある、キャンプ場やユースホステルを利用しながら北上してシャチのウォッチングで有名なテレグラフコーヴで念願のシャチと出逢えました。
この日は港から出港する前の朝に岸から見えるところをシャチの群れが通ったりして、船に乗ってからも最高の条件でした。
他にもヨットでのウォッチングに参加しましたが、この船長ご夫婦は北半球の夏にここでウォッチングを行って、秋には南下しニュージーランドに行って、また夏を過ごすということをして暮らしているのだと言っていました。 なんともスケールの大きな生き方だなと驚きました。 シャチの暮らす海域でのんびりと過ごしたかったので、先住民の多いアラートベイという島に渡ってユースホステルに滞在したり、更に北の町でもキャンプで過ごしました。
島の北端に行った時にはバンクーバー島から北は海なのだから、ここから先に行くにはやっぱりシーカヤックが必要だなぁと思ったりもしました。
その後、バンクーバー島の太平洋岸にも行き、コククジラのウォッチングも出来て、とても充実した旅となりました。

写真:2004年5月、海浜植物のスナビキソウにアサギマダラが飛来するという事に気づいた頃。












写真:2004年5月、海浜植物のスナビキソウにアサギマダラが飛来するという事に気づいた頃。

そんなわけで、カナダの西海岸というシーカヤックの本場のような場所でカヤッカーが普通にいて、普通にシャチやクジラがいてという、そういう環境を見ていながら、この時も結局シーカヤックでシャチを見るということをせずに、日本に帰ったのでした。
出発したのがチケットの安い夏の終わりで、バンクーバー島で1か月過ごし、北バンクーバーで部屋を借りて1か月経ち、この頃にはもうすっかり秋でしたから、シーカヤックを練習するには長い冬を越さないといけないと分かり、仕事が見つかったとしても安い給料でカヤックも買えそうになく、これは時間の無駄と思ったのでした。
それで日本に帰ってアルバイトをして、カヤックを買って練習すればカナダで自分一人で漕げるようになるだろうという考えでした。
その暮れには中古でシーカヤックを買い、真冬から練習し、そうしている間に自宅の東京と海との交通費がもったいないことに気付き、縁のあった館山に引っ越してしまいました。
館山の海に慣れてくると、だんだん自分のフィールドという感じがしてきます。
それで愛着が湧くと、遠くのカナダの海もいつか行きたいけどなかなかお金も貯まらないし、目の前の房総の海も極めたいという気持ちが強くなっていきました。

写真:2004年11月、産卵98日目になって海に向かって歩くアカウミガメの子。















写真:2004年11月、産卵98日目になって海に向かって歩くアカウミガメの子。

そんなこんなで、あっという間に5年が経った頃、イルカの群れが館山に住み着きます。
流石にザトウクジラやシャチではなかったですが、ミナミハンドウイルカという興味深い鯨類が向こうから自分の住んでいる場所にやって来たのでした。
これはもう他所の海のクジラを追っかけてる場合ではなくなり、自分の住む土地の身近なイルカを調べるという、他に誰もやっていない貴重な記録を残すチャンスに恵まれたわけでした。
その経緯は海生哺乳類のページの「ミナミハンドウイルカ」を見て頂ければと思いますが、これが最初に書いた「遠くの何かを見るより近くのそれを見る」というふうに私の考えが転換された時でした。
その後、シャチの生態研究の見様見真似で個体識別をしながらイルカの観察を続けましたが、記録を取るには何よりカヤックの操船技術が重要でしたし、それまでに楽しみで撮っていた写真も記録を残すうえでとても重要になりました。
カヤックはもともとは北極圏の人々がそれら海棲哺乳類を捕獲するための道具でしたから、ただ単にツーリングするのも楽しいですが、やはり本性は何か対象物を探索し、見つけ、捕獲するための道具であることを再確認しました。
私の場合は捕獲ではなく、撮影し記録を残すということでしたが、成果を持って帰るという意味でやはりハンティングを行ってきたと感じています。

写真:漂着鯨類を発見する機会が多いことから報告をするようになり、調査にもお邪魔するように。2005年5月岩井沖の定置網に入り死んだコククジラ。















写真:漂着鯨類を発見する機会が多いことから報告をするようになり、調査にもお邪魔するように。2005年5月岩井沖の定置網に入り死んだコククジラ。

その生物の生息環境を知り尽くすというのもハンターの基本的な性質ですから、それを自分の活動に当てはめて考えれば対象生物の住処である海岸環境や、海の生物の生息状況を記録するということは、ハンティングの一環として考えてもそれほど違和感のないことだと思います。
そういう中で、イルカの観察を通じて、やはりこれは多くの人とシェアするべき出来事だという風に感じたのがシーカヤックツアーを始めた理由です。
また現在様々な対象で行っている観察記録を残しつつ、それをツアーでフィードバックするというやり方の基盤もイルカの観察カヤックツアーで始まったものです。
お客さんのいない時に十分にイルカを観察することで彼らの行動パターンや、好まないことを把握しておけばツアーの時に解説ができましたし、イルカに嫌われずに継続的にツアーが行えました。
これにはカナダでのシャチのウォッチングで得た経験が大きく影響しています。
小笠原ではまだ個体識別はウォッチングに活用されていないようでしたし、クジラを見つけたら結構近くまで寄って行っていましたが、カナダのボートはシャチに接近する前に十分観察し、個体を見分けて解説をしながらゆっくりと待つように接近していたのが印象的でした。
結局、その方がクジラの方から寄ってきてくれるのだということがすぐに分かりました。
つまり、シーカヤックはそもそもは仕事にするために始めたわけではなく、単に海の生き物、特に鯨類を見るための道具として使い始め、そしてクジラと対面する前に自由に乗りこなすために練習をしていく中で、その乗り物としての楽しさや素晴らしさを知り、同時にホームウォーターとした南房総の海に興味が湧き、そしてそれを人に紹介していくため、ツアーを始めて今に至ったという経緯です。

写真:2006年2月に起きた太東カズハゴンドウマスストランディングでの港内放流個体のカヤッカーとサーファーによる沖への誘導を行った時の様子。















写真:2006年2月に起きた太東カズハゴンドウマスストランディングでの港内放流個体のカヤッカーとサーファーによる沖への誘導を行った時の様子。

そういう感じで今までやって来ましたので、このCOVID-19での出来事でフィールドを見て歩く(漕ぐ)事が難しい今の状況にはなかなか慣れることができません。
人の世の中ではいろいろ困った変化が多い時ですが環境は今、人間活動の低下のお陰でみるみる状況が良くなっているようです。
人々がウイルスとの闘い(共存?)を済ませた後にも、今の環境への良い影響が続くようにしていきたいと動き出せば結果的にはずっと先に未来にとっては「良い事もあった」時期として記憶されるのかもしれないということに希望を見出しています。
みんな誰もが大変な状況ですが、なんとか乗り越えて、当方も以前とは違う形になるかもしれませんが、シーカヤックやマウンテンバイクを用いたフィールド案内というものを時代の流れに沿わせて、むしろ前よりも良いものにしていこうと考えています。
そして、動きがとりにくい今は身近な自然へ目を向ける良い機会とも言えます。
目の前にありながら、あまり興味を持たずに今まで通り過ぎていた公園や河原、庭や家の窓辺にいる虫や草たちの中にも何か発見があるかもしれません。
私も庭の生き物や植物に以前よりも興味を持つようになりました。
是非この機会に、何か自分のホームエリアに隠されている「小さいけど大きな発見」を探してみてください。

写真:2008年12月、北条海岸の海岸通りを歩いていたコアホウドリ。













写真:2008年12月北条海岸の海岸通りを歩いていたコアホウドリ。



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