写真:館山湾に現れた見事な虹。
今月は虹を、それも完璧な左右ともに地に着いた虹を2回も見ました。
そういう天気の日が多かったのですね。
フィールドで活動するには、特に海の上に出る時には、不安定で予測しにくいコロコロと変わる天気はなかなか手強いのですが、一方この虹のようなイベントも期待できますので楽しみもあります。
予想よりも強い雨に打たれたり、雷が鳴って怖い思いをしたり、急に突風が吹いたりという、人がマイナスに思う天候の変化と、突然の虹やレンブラント光線、暈などの興味深く美しい大気光学現象のような、人がプラスに思う出来事は、それぞれ全く別のものを人に感受させますが、地球上の現象という意味では良いことでも悪いことでもないので、地球に生きている以上はどっちも受け止めていくしかありません。
ちなみに虹はどちらかというと少なくとも日本では好意的に見られますけれど、世界中で考えると不吉なものと考える人が多いそうです。
つまり考え方次第というか自分次第なのですね。
写真:カヤックから見たレンブラント光線。
例えば台風が困るからと言って、もし台風が来てくれなくなったら、それはそれでまたまたきっともっと大変なものが代わりにやって来るのでしょう。
地震とか、噴火とか、津波だって、もう絶対嫌ですけれど、きっと地球の生理現象的としては無くてはならないものなんでしょう。
人の命や財産を奪う津波を虹のように美しいとは思えないですが、虹も津波も地球の仕事なんだと思って同じように受け止められるようになりたいものだと思います。
シーカヤックを漕ぐというのはそんな気分を持ち合わせていないとできない行為なのかもしれません。
もしくはそういう風に受け止められるようになりたいという願いが行為になったものなのかもしれません。
…と難しく考えすぎていますが、楽しくまじめに海に出たいということですね。
いや楽しさも厳しさも愉しみたいという感じでしょうか?
まあ実際のところは慣れてしまうと、つい散歩みたいな気分で漕ぎ出してしまいますが、これがいけません。
いつ何時死ぬ目に合うか分からないぞ!と頭の片隅で思いながら、それを前提にして虹を楽しみましょう。
そうすると虹が不吉だという人々の気持ちも少し分かってくるような気がします。
写真:先月のルリガイにに引き続き、15日館山湾でアサガオガイ、写真のカツオノカンムリ、ギンカクラゲ、カツオノエボシといった暖かな海面を漂う青い生き物たちの漂着が見られました。
自然に直結して生きていると空に出る「しるし」はひとつひとつが自分の生命に関わってくる情報を伝えてくれているということに気付くと思うのですが、都市生活を続けているとそこが麻痺してしまうのかもしれません。
虹の不吉さを理解できないというのは、例えば津波の映像を見てもどうもピンと来ないという事の延長にある感覚かも知れないと感じたりしました。
私自身、虹などの空に出る様々な現象を見るのは大好きで、それが天候の兆しということもある程度分かっているつもりですが、不吉までは感じられていないのはやっぱり現代の生活の中で鈍っているのかもしれないなと思いました。
考えすぎて虹を単純に楽しめなくなっちゃうな…とも思いますが。
だからまずは楽しんで、そして何かを感じ取れるように鋭敏にしておかないとと思った次第です。
写真:灯台の上にはミサゴ。
房総半島では西の風が強く吹く日は裏側の東の海岸線が凪ぎます。(ただし岸沿いだけです)
そんな日に久しぶりに波高い事の多い千倉の海岸線をのんびり楽しんだのですが、ある磯場の沖で潮の流れがグイッと変わってガクッと速度が落ちました。
千倉の海岸線の磯は複雑な地形をしている上にうねりも高い場合が多いので岸から離れて沖を漕ぐことが多いのですが、この日はとても凪いでいたので良い機会だと思い、岸に沿って生き物の気配を探りながら漕いでいました。
この潮の流れが変わった場所は以前、ザトウクジラが打ちあがった場所のすぐ沖でした。
そしてその岩場はクジラが度々打ちあがるということで地元で「クジラ場」と呼ばれている海岸だったのですが、そのクジラ場の潮の流れがどうなっているのかをカヤックで漕いでそのうち調べようと思っていながら、ずっとしていなかった事を思い出して、同時に思いがけず結果が出たわけでした。
写真:「クジラ場」の沖。
復路にもそこを通り、漕がずに流されてみたところ、クジラ場の前でピタリとカヤックが止まって、そこから先に流されることもなく留まるということが確認できました。
打ちあがったザトウクジラは、目撃談ではクジラ場の沖に数日浮き続けて、時化の日に打ちあがったということでしたので、そのカヤックが止まった位置がクジラが数日浮いていた場所だったのだろうと思います。
こういう特徴のある海岸を持っているということは、クジラを簡単に捕獲できない時代にはとても貴重だっただろうと思います。
打ちあがったクジラは今よりも早く発見されて状態が良いものも多かったかもしれません。
食用になる鮮度であれば、もちろん貴重ですし、食用にならない腐敗度合いだったとしても、骨や歯、クジラヒゲ、筋などは何かに利用できそうですし、腐敗した肉も肥料か何かにきっと役立てていたのではないのでしょうか。
とにかく海岸で腐るままにしておくようなものではなかったと思います。
写真:先月ご紹介した東京湾のグンバイヒルガオは初霜の降りた16日には紅葉していました。冬を越せるでしょうか?
そんなことを考えてみると「鯨一頭七浦潤う」という言葉はこの千倉のクジラ場のことなんじゃないかな?と思ったりしました。
実はクジラ場近くには以前幾度かクジラが揚がっているのですが、その場所の昔の地名が七浦なのです。
もしかしたら…。
ただ七浦村にこのクジラ場が属していないのが惜しいのです。七浦村のすぐ東側なのです。
「房総の捕鯨」によると大正から昭和40年代までこの地域でも沿岸で捕鯨が行われていました。
乙浜という港が捕鯨の拠点でしたが、そこは七浦村のすぐ西側の港です。
七浦村は1889(明22)発足、1954年(昭29)廃止という村ですが、捕鯨が行われていた時期と重なります。
ということは漂着クジラではなく捕獲された1頭のクジラが村を潤したのかな?ということで考えても、やっぱり「鯨一頭…」にこの七浦は当てはまります。
これも乙浜港が七浦に属していないのが惜しいのですが…。
しかし村の名称になる前のこの辺りの呼称が七浦だったのかな?と思ったりもしましたが、そこは突き止められませんでした。
でも、もしかしたら…。
写真:カヤックで漕ぐと東京湾のイメージを覆す風景が見つかりますよ。
というわけで今年の最後もこんな内容のカヤック日記でしたが、お付き合い頂き、ありがとうございました。
来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞ皆さま良い年をお迎えください。
2016年1月のカヤック日記
「クジラ場」に打ちあがったクジラについて書いてあります。
Geoshapeリポジトリ 千葉県安房郡七浦村
参考文献
「房総の捕鯨」金成英雄 著 ふるさと文庫
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