写真:久しぶりにカヤックで海へ。
3月以来、私もカヤックで海に出るのは控えていましたが、この30日にはやっと海に漕ぎ出す事ができました。
こうやって久しぶりに海に出てみると、カヤックで気軽に海の上を移動できるということの素晴らしさを改めて感じました。
シーカヤックを始めた頃に感じた、海の上という広大な平面上を移動する事に対する気分の高揚のようなものです。
これは比較的狭い平野しかない日本で育っているからなのかもしれません。
だからでしょうか、「海の上は岸が遠く、広くて怖い」という感想を時々聞きます。
どこまでも流されて行ってしまいそうな不安を感じるのだと思います。
実際にそれは海に浮かんでしまえば簡単に起こり得ます。
シーカヤックに限らず、海では身ひとつ、ボート、サーフボードに乗っていても地上とは違って何もしないでも移動してしまいます。
海に出始めた時にそれが分かっていないために、ただ浮いていて同じ場所にいるつもりなのに気付いたらかなり沖にいたとか、岩に近づいたとか、まっすぐ沖に出てまっすぐ岸に戻ったのに全然違う場所でクルマを停めたのがどこなのか分からなくなった(というサーファーが本当にいました)、というような経験を大なり小なりします。
これは早ければ子供時代の海水浴でも経験することができますが、これが最も地上と違う事で、これを理解して慣れて、当たり前に考慮に入れることが最初の難題かもしれません。
これさえ間違えなければ単純な遭難はかなり減るのではないでしょうか。
風や潮流に流される事、これは前向きに考えれば有用な移動力で、利用できれば楽なことでもあります。
地上では自分が動かなければ移動できないので、足を動かさずに移動しようとクルマに乗ったりするわけですが、海ではいつもクルマに乗っているようなもので、なにもしなくても海はどこかへ連れて行ってくれます。
ただし、そのクルマは気分次第で行き先がいつも違うというなかなか扱いにくいクルマですが。
それを理解して逆らわずに自然の力を利用できればシーカヤックは楽に移動できるだけでなく、危険が減り、楽しく便利なものになります。
写真:南半球から飛んできたハシボソミズナギドリは風がない時には時々海面で翼を休めています。
カヤックでは空気や水の流れる方へ素直に流されていくのが良いということになります。
それでは沖へ沖へと流れる時にはどうしたら良いんだ?ということになりますが、もちろん海に出なければ良いのです。
もしくは空気と水が流れる方向と自分の行きたい方向が一緒の時にカヤックは漕げばいいんです。(もしくはそういう場所にカヤックを持って行って漕げば)
流れの向きに問題が生じないように計画を立てながら、それでも予期しない変化があった場合には岸に戻れば良いのです。(戻れる余力と岸からの距離を確保しておくのが大切です)
「それでは行きたいところに行けないじゃない。」という風に思った人はカヤック向きではないかもしれません…。
地上での人のやり方を海の上でしようとするから簡単に死んでしまうので、海には海のやり方があると思います。
だから、やはり向き不向きはあると思います。
これは「今回の事」にも似ているような感じがしました。
今までクスリや治療で「後で何とかする」という考えでいたものが、「後でもどうにもならない」という対象が現れて、「変化を見極めて早めに判断する」という風に自然環境に対する対応によく似てきたと感じました。
今日は潮の流れも風も危ないと感じたら「海に出ない」という事と似たような対応を世界中で大真面目でやっています。
今まででしたら「出ない」という選択肢は巨大な台風やハリケーンの時くらいだったと思います。
「今回の事」での家に滞在していた時間は、後で思い返してみたら自然相手に天候待ちをしているような気分でした。
しかしまた次の嵐がやって来るのだと思いますが、それまでは少しの間でも凪の世界で過ごせたら良いなと思います。
(が、房総は台風に対しての警戒が既に必要な季節に入りました)
写真:東京湾には特に貴重な、昔のまま(に近い)状態を維持した海岸線。奥の砂面に広がるのがスナビキソウ。
この日の行程は、長いこと海に出らなかった為に、毎年行っているハヤブサの繁殖記録が取れずにいましたので、それが目的でした。
岸からの観察では確認できない位置に巣があるということは親鳥の行動で分かったのですが、その先の海の上に行けないということはシーカヤックを長くやっていると不思議な感じさえします。
海の上を地上で移動するのと同じように自分の行動圏とするという事の素晴らしさを、当たり前のように享受していたのだと今回の事でよく分かりました。
この日も、いつものように1人での海上だったのですが、やはり「今回の事」で海の上と海岸が同じように捉えられていることの不思議を改めて感じました。
南房総の海の上では沖に出てしまえば周囲数キロに亘って人はいないような時もあるのですし、漁船が操業していたら普段から最低でも数十メートル以上ののソーシャルディスタンスは取りますし…。
「海の上」という場所のイメージがいかに陸の人たちに理解されていないかが良く分かります。
ふつう、海の上に出るのは船に乗ってですから狭い船内は密集していますし、岸から見える波待ちをしているサーファーの人たちはやはり密集している場合が多く、そして海岸線は線状の狭い範囲に多くの人が集まる印象があります。
それくらいが陸の人に知られている「海」のイメージだとすれば、シーカヤックのように自転車のような個人的乗り物に乗って、ほぼ人のいない広大な砂漠のような平面上にいるという世界はなかなか共有できていないのだと感じます。
カヤックに乗って、家の近所の砂漠のように広大な空間の真ん中でポツンと存在する時に、遠く家々が形もわからないくらい小さく見える時に、あそこでは人々が暮らしていて流行り病があって、みんながマスクをして距離を取って不安を感じながら過ごしているんだな…という視点で今の人の生活を見ている感じは、ちょうど宇宙船や飛行機から地球を見ている人と同じようなものです。
写真:沖合から見ると人の存在は小さくなり、自然の中に埋もれて見えます。
そんな風に、なんだか妙に客観的に世界が見えるという感覚がシーカヤックをしているとやってくる時があります。
宇宙から地球を見た人がいろいろ変化があるように、というほど大袈裟にはいかないかもしれませんが、少なくとも自分が暮らしている町や国をその外から見てみるという経験をシーカヤックは与えてくれます。
多分、パラグライダーやヨットなども人の生活圏を個人的なレベルで俯瞰するという点では似たような効果があると思いますが、シーカヤックは自力でそこに達するというところが独特です。
さっき書いたように、潮の流れとか風とか完全な自力ではないですが、自ら漕いで帰らなければその遠くに見える本来の自分の住む場所へ戻れないという気持ちを持っている事と、そこに来るまでの疲労が脳に何か影響を与えたりするんではないかと思います。
あとはやはり身一つに近い感覚であることが関係しているとも思います。
カヤックは乗り物ではなくて履き物でしかないのだという感覚です。
だから、もし宇宙空間に単独で自力で達することができたら、その人の中の変化はロケットで行った時とは全く違ったものになると思います。
広大な空間で浮遊しながら、遠くから人の生活を見てみるという経験は是非多くの人に体験してほしいものです。
写真:巣から出てきた雛。奥にも兄弟がいるのでしょうか?
それでやっと本題(?)のハヤブサですが、その日のうちに巣が確認できました。
私が知る限りでは今までに使ったことがない窪みです。
その窪みの側の木に親鳥が激しく鳴きながら降り立ったあと、その窪みからテクテクと白いモコモコの雛が現れたのでした。
灰色の崖の高所に真っ白なまあるい存在がもたもたと歩いている感じはなんだか神々しい感じさえしました。
雛鳥といういうよりは、お告げでも伝えてくれそうな高尚な超高齢の存在みたいな…。
繁殖の観察を何年も続けていますが、雛が巣から出てきて見える事は滅多になくて今回もかなり久しぶりのことでしたので「おわ〜〜!」などと独り言を言いながらシャッターを押していました。
ポケットに入れているコンデジでとりあえず収めた後に一眼レフを取り出していたら姿が見えなくなっていました。
なので写真はひどいですが、そのまあるい高貴な存在は見ていただけるかと思います。
昔の写真が
※2010年5月のカヤック日記
※2013年5月のカヤック日記
にありますので、是非ご覧ください。
いずれにしてもカヤックから揺れる海面の上で望遠での撮影ですので、それほど明瞭な写真はありません。
あくまで記録として残せれば良いので。
写真:外房某所で確認したシロチドリの巣。雛×2、卵×1が写っています。見つけにくく現場では大変緊張します。
鳥類の繁殖では他にシロチドリ、コチドリに注目しています。
これらは砂浜に巣らしい巣もつくらずに、見晴らしの良い地平面で子育てをするので、海岸線の人の利用と直接関わっているために注目しています。
昨年は特にコチドリの繁殖が様々な場所で、様々な人活動の影響を受けていることを再確認したので、今年も気になって自粛の間も自転車のトレーニングを兼ねて様子を見ていました。
とりあえず5月までにコチドリの繁殖に関わる行動を内房で2か所、外房で2か所、シロチドリの巣を1か所確認しました。
コチドリはいずれも去年とほぼ同じ場所で、行動範囲が似ていることからすると、もしかすると同じツガイなのかもしれません。
外房のシロチドリの繁殖1例は今回初めて確認した場所です。
写真のように雛が2羽と卵が1個という状態で1羽は生まれたばかりの様子でした。
記録のために確認撮影しましたが、できれば近づかないのが正解です。
誤って踏み潰したりしたら元も子もありません。
しかし去年の例のように何か現地で問題が発生した場合などに確かに繁殖が確認されていなければ、役所などにそれについて保護を要望する場合の信憑性がないと話が進まないため、最小限の記録として撮影と位置記録を残しています。
今年は特に調査頻度が低くなってしまった事もあるかもしれませんが、これだけの範囲でこれしか繁殖が確認できないという事に危機感を感じます。
彼らが繁殖することができるような海岸がいかに少ないかが分かります。
しかし今年は海岸への人の出入りが少なくなる可能性が高く、それはこれらチドリなど浜鳥の繁殖にとってはとても良いことになるでしょう。
写真:18日には白浜の海岸でコチドリ♂のメスへのアピールディスプレイを始めて見ました。お尻を高くして「ここが巣に良いよ!」と。かわいい…。
海岸の出入りが制限されることはウミガメの繁殖にもかなり大きく良い効果があるだろうと想像しています。
もちろん人にとっては様々な問題があるのですが、敢えて生き物の視点だけで見ていきたいと思います。
この夏は調査20年目にして初めての新たな状況の記録ができることになります。
ウミガメにとって人がどんな影響を与えていたかを知る貴重な機会です、十分な記録を残さなければと思っております。
31日にはいつもの調査範囲よりも北の外房海岸でウミガメの上陸が確認できました。
地元の方が既に簡単な柵を作られていて、足跡も残っていました。
この地域では地元の方と幾度か海岸でお会いした時に話をしていて、柵をしてある巣も調査結果として私の方で日本ウミガメ協議会に報告する事に了承頂いています。
調査範囲外の記録は少ないのでとても貴重です。
千葉県では継続的にウミガメの産卵が調査されたり記録されていない海岸がまだ随分あります。
上陸頻度が少ないために、組織立つこともなく、個人的には近所の散歩の方やサーファーの方が柵を作っていることがありますが、報告がされていないために房総半島のウミガメの産卵頻度は実際よりも低い数字になっています。
関東でウミガメが産卵しているという事がもっと大切に扱われても良いと思うのですが。
ともあれ今年のウミガメはちょっと楽しみです。
※昨年のコチドリ繁殖の件(2019年6月のカヤック日記)
メモ
ハシボソミズナギドリ×5(和田×3、白浜×2) 山階鳥類研究所へ郵送 6/1
写真:幾重もの光の輪を持った太陽に出会いました(30日)
お知らせ
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どのような対応が適当か判断しにくい状況ですが、明確な判断はこれから先も難しそうです。
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